80年代の歌姫メリッサ・モーガンが19年ぶりに来日—いままで明かされなかったストーリーが明らかに
シンガー/ソングライターのMeli’sa Morgan(メリッサ・モーガン)が19年ぶりに来日し、2019年6月4日(火曜日)に大阪・Billboard Live OSAKA(ビルボードライブ大阪)、6月5日(水曜日)に東京・Billboard Live TOKYO(ビルボードライブ東京)で来日公演が開催されたため、独占インタビューを行なった。
1980年代のR&B/ブラック・コンテンポラリー全盛期に活躍、ソロとして1986年にリリースしたシンガー/ソングライター/音楽プロデューサーのPrince(プリンス)のカヴァー曲「Do Me Baby」(ドゥー・ミー・ベイビー)で一躍注目を集め、昨年2018年にリリースした約13年ぶりの新アルバム『Love Demands』(『ラブ・ディマンズ』)で音楽ビジネスの休業からシーンにカムバックを果たした歌姫(ディーヴァ)メリッサ・モーガン。メリッサ・モーガン女史の生い立ちやバックグランド・シンガーを務めたレジェンドたちとのエピソード、カヴァー曲「Do Me Baby」(ドゥー・ミー・ベイビー)のリリースの裏側、音楽ビジネスの休業と復帰の真相などに迫った。キャリアを振り返りながら、いままで明かされなかったストーリーが語られる。
——This was your first visit to Japan in 19 years. How does it feel to be back?(19年ぶりの来日ですが、久々の日本国はどうですか?)
私は、「DO ME BABY」(ドゥー・ミー・ベイビー)が大成功した後の1980年代と1990年代に度々日本を訪問してパフォーマンスをしました。日本でのパフォーマンスは合計4回なので、それほど多く訪れたわけではありませんが、日本でパフォーマンスをする度にいつも素晴らしい時間を過ごすことができています。日本を訪れることが大好きです。そして、私と私の音楽を愛する日本のファンの方々に感謝し、愛しています。日本のホテルも好きです。ホテル阪神大阪の天然温泉大浴場も本当に最高です。それはアメリカにはありません。
I was visiting and performing in Japan more often in the 80’s after the Huge Success Of “DO ME BABY” And in the 1990’s. I have performed in Japan about 4 times total though, so not that many times. I have always had a Wonderful time each time I have performed here. I really do Love coming to Japan and I Appreciate and Love my Fans here for Loving me and my Music. I also like the hotels they put us up in! I really enjoyed The Hot Natural Springs Baths that you can take at Hotel Hanshin Osaka. They don’t have things like that in The States.
——On your last visit, did you join the show with Musician/Saxophonist Mr. Sadao Watanabe?(前回の来日は、ミュージシャン/サクソフォニストの渡辺貞夫さんとのショーでしたか?)
それは、私が1980年代に初めて日本を訪れたときのことです。私は、彼といくつかのコンサートや非常に有名なテレビ番組で共演しました。渡辺さんは、とても優しく、素晴らしいミュージシャンです。私たちは「GOOD MORNING HEARTACHE」(グッド・モーニング・ハートエイク)という曲をパフォーマンスしました。それは素晴らしいパフォーマンスで、いまでもYouTubeで見ることができます。彼と一緒に仕事ができたことは、とても素晴らしい経験でした。
That was the first time I was here in the 80’s. I did several concerts with him and a very popular TV show that we both performed on. Mr. Sado Watanabe was so nice to me and What a Great Musician. We did the Song “GOOD MORNING HEARTACHE”. It was a great performance and it can be seen on YouTube. It was Wonderful working with him.
——What was life like for you as a child?(子どもの頃は、どんなお子さんでしたか?)
私は、良い子どもでしたよ。一人っ子だったので、少し甘やかされて育ったかもしれませんが、それほど極端ではありません。普通の子どもがするような遊びをしていました。公園で遊んだり、たくさんの人形も持っていましたし、友人と一緒に成長しました。いまでも友人の人もいます。教会に行って育ったので、聖歌隊の歌に耳を傾けるのも好きでした。私の家の周りにはいつもたくさんの音楽がありました。両親は、ソウルミュージックを愛していました。Aretha Franklin(アレサ・フランクリン)、James Brown(ジェームス・ブラウン)、The Temptations(テンプテーションズ)、The Supremes(スプリームス)などです。小さな頃から音楽を愛し、歌っていました。
I was a good child. My only Father’s child, so I was maybe a little spoiled but not much. I did lots of things Children did. Played in the Park, I had lots of Dolls and I had friends that I grew up with. Some who are still my friends til this day. Went to church growing up and Loved listening to The Gospel Choir At my Church. Always had lots of music around my house. My parents Loved Soul Music…. Aretha Franklin, James Brown, The Temptations, The Supremes and more. I have loved and sang music since I was little girl.
——How did you get involved with singing?(歌を始めたきっかけを教えてください。)
最初、自宅の居間で母のために歌い始めました。母の大きな服を着て、アレサ・フランクリンのレコードにのせてアレサになりきって歌います。私たちは、踊り、笑い、そして、「何度も何度もそれを歌いなさい」と母は言うのです。それが、私が言葉や、シンガーの歌い方を覚えるのが得意になったきっかけでした。彼らの歌い方を真似しました、彼らのレコードのように。7、8、9歳でそれをできるようになったのは驚くべきことでした。母は、私を聖歌隊に入れるために連れて行きました。私はスターレッツ・オブ・コロナ・コミュニティ・クワイア(聖歌隊)に加わりました。聖歌隊のディレクターでもあるHornrette Washington(ホーンレット・ワシントン)さんは、私を側に呼び、歌い方を教えてくれました。「いま、あなたは彼らの歌を学びました・・・次は、あなたのやり方で歌ってみなさい」と彼女は言い、私は「I MUST TELL JESUS」(アイ・マスト・テル・ジーザス)を歌うことになり、それが歌うキャリアの始まりとなりました。高校を卒業したとき、私はバンドで歌い、バックグラウンドで歌い、バンドと一緒にカナダ・ツアーもしました。それまでにプロのシンガーになりたいと思うようになり、私の心に疑いはありませんでした。歌うことが私のキャリアであり、私の人生の重要な部分になるとわかっていたのです。