展覧会『鈴木敏夫とジブリ展〜宮さんは絵を描き、僕は字を書く。〜』が熱い—鈴木敏夫の言葉の魔法にかけられて
第一章 幼少期〜青年期、鈴木敏夫になるまで
終戦から3年後の1948年夏に生まれた鈴木敏夫。このエリアには、古き良き時代の懐かしいモノが詰まっており、昭和にタイムスリップ。中でも目立つのは、鈴木敏夫にとって強い思い入れのある漫画や漫画雑誌。そして、特別な存在だった漫画家の杉浦茂について書かれたパネルも要チェック!
第二章 鈴木敏夫の愛した昭和の映画
鈴木敏夫は、少年時代に父親には任侠映画やチャンバラ映画などの邦画に連れて行かれ、母親にはハリウッド大作など洋画に連れて行かれ・・・と、趣味が正反対の父母の影響で邦画・洋画両方の映画が好きになり、週末は学校が終わると50円玉を握りしめて映画館に通っていたようだ。このエリアには鈴木敏夫の好きな映画作品が展示されている。
第三章 徳間書店時代
鈴木敏夫は、1972年に徳間書店に入社し、雑誌『アサヒ芸能』の企画部に配属され、占いや漫画のページ、別冊『コミック&コミック』の編集にも携わり、憧れだった漫画家の杉浦茂、漫画家/アニメーター/アニメーション監督の手塚治虫、漫画家/特撮作品原作者の石森章太郎、漫画家のジョージ秋山など名だたる漫画家と親しく付き合いをするようになる。1975年に雑誌『テレビランド』の編集に携わり、1978年には雑誌『アニメージュ』の創刊に加わり、後に編集長に就任。創刊号の取材で、映画監督/アニメーション演出家/プロデューサーの高畑勲監督や映画監督/アニメーター/漫画家の宮崎駿監督の存在を知ることになる。このエリアには、雑誌『アニメージュ』がぎっしりと並べられているほか、取材ノートや原稿、『ルパン三世』のスケッチも展示されている。
名台詞の間
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編後