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日本初の大規模な展覧会『バスキア展 メイド・イン・ジャパン』が開幕—バスキアに王冠を捧げ、時代や感情を重ねる

 
展覧会『バスキア展 メイド・イン・ジャパン』
acrylic and oilstick on canvas 198.1 x 203.2 x 5cm Courtesy Van de Weghe Fine Art, New York Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York ©︎ SAPIENS TODAY and Wingedicate Photo by Ryohei Ryan Ebuchi

1985年にはニューヨークのTony Shafrazi Gallery(トニー・シャフラジ・ギャラリー)で2人で展覧会を開催。アンディ・ウォーホルが亡くなる1987年までお互いを刺激し合う生涯の友人となり、2人でインタビューを受けることもあった。ジャン=ミシェル・バスキアは、アンディ・ウォーホルが亡くなると、その悲しさや淋しさから孤独感を感じ、精神的にも不安定になってドラッグに依存するようになり、過剰摂取(オーバードーズ)によって1988年に27歳でこの世を去る。本展覧会では、1985年にトニー・シャフラジ・ギャラリーで開催された2人の展覧会のためにジャン=ミシェル・バスキとアンディ・ウォーホルが共同で制作し、フォトグラファーのMichael Halsband(マイケル・ハルスバンド)が撮影した写真を使ったポスターも展示されている。ポスターの写真は、2人でボクシング・グローブをはめており、ジャン=ミシェル・バスキアにとってボクシングとボクシングの試合、ボクシングチャンピオンは、歴史と視覚の両面において重要な主題だった。また、まだ展示されているかどうかは不明だが、東京・銀座蔦屋書店(GINZA SIX)には同ポスター(アンディ・ウォーホル直筆サイン入り)が展示されており、600,000円で販売されているので必見!貴重な作品集や関連書籍も販売されている。

天才、そして、ひとりのヒト

ジャン=ミシェル・バスキアは、幼い頃から感性が豊かで、様々なことを感じ、学び、博識で、インテリジェンスを持ち合わせた天才肌だったと言える。それは、幼少期の出来事や経験も鮮明に覚え、後の作品や表現にも生かし、SAMO©︎(セイモ©︎)としてロウアー・マンハッタンのストリートや公的な空間に描いた詩のような言葉や記号のグラフィティから見ても明らかである。日々アンテナを張り、身の回りや日常の出来事、アニメーション、カートゥーン、音楽などをインスピレーションの源として作品を制作。プエルトリコ系とハイチ系のルーツを持つ彼は、メディアなどから「アート界のエディ・マーフィ」や「ブラックピカソ」と比喩され、“黒人アーティスト”と呼ばれることを嫌ったが、自身の肌が黒いことを逆手に取り、作品では黒を主体とし、白人ができない、白人がやらない、アフリカ系アメリカ人(黒人)の歴史や文化、音楽、アフリカ系アメリカ人(黒人)選手が活躍するボクシングや野球をテーマにアフリカ系アメリカ人(黒人)を主役・主人公に描いた。生前、彼はこのように語っている—「僕は、黒人アーティストではない。僕はアーティストだ。」、「アートの世界では、ないがしろにされてきた人がたくさんいると思う。描いた人が誰なのかどうかはわからないけど、これまで黒人は現実的に描かれたことがなかった—そして、描かれてさえもいない—モダンアートに十分だ。だから僕がそれをしていることはよかったと思う。僕は「黒」を主役として扱う。それは僕が黒人だから。だからすべての絵で黒人を主人公として描くんだ。」(書籍『バスキアイズム』ジャン=ミシェル・バスキア/編集者:ラリー・ウォルッシュより)。さらにアートを通じて、搾取、消費主義、科学技術の進歩、抑圧、人種差別、警察の暴力、戦争などにも抵抗していた。天才肌だったが、彼も人間臭さを持つひとりのヒトだった。自身が表に出て有名になることや名声や栄光を掴むために手段を選ばず、SAMO©︎(セイモ©︎)として一緒に活動していた高校の同級生・友人のアル・ディアスのことさえも省みずに突き進み、大作を生み、次第に芸術・美術関係者をはじめ、アーティストやセレブリティなど錚々たる人間関係を築き、交友関係を広げ、天才として崇拝、もてはやされ、華やかに見える世界に浸っていく。この間もアル・ディアスとは年に何度かは会っていたという。アル・ディアスは、ジャン=ミシェル・バスキアが望んでいた名声や栄光を掴んでいたのとは裏腹に、本来の自分を見失っていることに気づいて葛藤し、孤独を感じている姿を見ていたようだ。過去に自身が風刺していた社会やシステム、華やかに見える世界にどんどん浸っていき、最後は自身を苦しめることになったのだろうとアル・ディアスは明かしている。また、アル・ディアスは、ジャン=ミシェル・バスキアの性格を社交的だけど人嫌いと証言している。社交的だけど人嫌いな性格は、華やかに見える世界の中にいる人たちや自分をもてはやす人たちを完全には信用することができず、孤独感を感じていたのかもしれない。生涯の友人であったアンディ・ウォーホルを亡くし、その悲しさや淋しさからもさらに孤独感を感じ、精神的にも不安定になってドラッグに依存するようになり、過剰摂取(オーバードーズ)によって27歳という若さでこの世を去った。晩年、彼は疎遠になっていたアル・ディアスや旧友たちを訪ね歩いていたという。本来の自分自身と大切な何かを取り戻すために葛藤し、孤独や弱さと戦い、そのことを誰かに気づいてもらい、寄り添ってほしかったのかもしれない。彼はこの世を去ったが、作品にも残している「壊れない」の文字通り、彼の思想や意志、世界観はいまも壊れず、人種や世代、ジャンルを超えてアートやファッション、カルチャーなどにも生き続けている。自身が望んでいた“王冠”をかぶることができたかどうかは天国に行ってしまったジャン=ミシェル・バスキア本人のみぞ知るが、ジャン=ミシェル・バスキアを失ったこの世界はいま、一人の天才アーティスト/画家としての、そして、ひとりのヒトとしてのジャン=ミシェル・バスキアに“王冠”を捧げ、時代や社会の問題・情勢、感情を重ねている。

オリジナルグッズ

展覧会『バスキア展 メイド・イン・ジャパン』

Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat.
Licensed by Artestar, New York
©︎ SAPIENS TODAY and Wingedicate
Photo by Ryohei Ryan Ebuchi

グッズショップでは、ジャン=ミシェル・バスキアの作品があしらわれた本展覧会だけでしか手に入らないオリジナルグッズが多数販売されている。SAPIENS TODAY|サピエンストゥデイ 編集部がオススメする注目グッズは、メディコム・トイ社製BE@RBRICK(ベアブリック)(超合金 12,000円(税別) / 1000% 48,000円(税別) / 100%+400% 10,800円(税別))とジャン=ミシェル・バスキアのソフビ(8,800円(税別))、スケートボード、Tシャツ(5,000円(税別))、フーディー(7,000円(税別))、傘(4,000円(税別))、折りたたみ傘(4,500円(税別))、モレスキンの手帳!

 

Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York

 

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