特別企画『奈良大和四寺のみほとけ』が開幕—岡寺・室生寺・長谷寺・安倍文殊院の国宝・重要文化財が集結
崖の斜面に張り付くように建つ本堂内陣に安置されている本尊像は、霊験あらたかな観音像として知られる重要文化財「十一面観音菩薩立像」。総高10mを超える巨像は、何度も焼失を繰り返し、その度にすぐさま造り直されてきた。現在の像は、室町時代の天文5年(1536年)に焼失して、天文7年(1538年)に再興された。岩上に立ち、右手の親指を曲げて錫杖を持つ様は、長谷寺の十一面観音像独特の姿形であり、重要文化財「十一面観音菩薩立像」の霊験にあやかるべく盛んに模刻像が造られた。現在も西国三十三所霊場巡礼の第八番札所として、参詣者の絶えない観音霊場として名高い。そして、桜、牡丹、紫陽花、紅葉など、一年を通して四季折々の花が咲く「花の御寺」としても知られている。
重要文化財 難陀龍王立像・重要文化財 赤精童子(雨宝童子)立像
重要文化財「難陀龍王立像」は、一般に雨乞いの本尊とされており、長谷寺では本尊・国宝「十一面観音菩薩立像」の脇侍として安置され、春日明神と同体とされている。難陀龍王は、龍を身体に乗せた武将の姿であることが多いが、重要文化財「難陀龍王立像」は珍しく「王」と書いた冠や衣服が中国の役人姿となっている。像内の銘文によると、仏師の舜慶以下8人の仏師が造像に携わり、5月2日に造像を開始、その11日後の5月13日に完成したことがわかっており、短期間で完成させる必要があったと推測されている。
重要文化財「赤精童子(雨宝童子)立像」は、右宝童子とも呼ばれ、雨を司る神である。右宝童子は、天照大神と同体とされ、天照大神が伊勢に鎮座する前に長谷を通ったという伝承に基づいて安置された。重要文化財「難陀龍王立像」とともに本尊・国宝「十一面観音菩薩立像」の脇侍である。髪型は、童子の定型だが、衣服は女人像に近く、右手には宝棒、左手には宝珠を持っている。頭上には五輪塔を載くものもあるが、重要文化財「赤精童子(雨宝童子)立像」には存在しない。像内に納入されていた木札等に「赤精童子」と記されていた。
重要文化財 地蔵菩薩立像
重要文化財「地蔵菩薩立像」は、長谷寺の僧に変身して学生を誘って寺に入門させ、論議の席で問答したと伝えられ、論議地蔵とも呼ばれている。長谷寺の学僧が特に信仰すべき像とされた。針葉樹(カヤまたはヒノキ材)の一木造で後頭部と背中から内刳りを深くほどこしている。両肩下がりから外側で別材で、左足先は後補である。一木造で背中から刳る構造、衣の襞に鋭さがある点は、平安時代前期の名残があるが、肉付きの薄い体に和様化の進行が見られ、11世紀の作と考えられている。