ティト・ジャクソンが逝去、享年70歳—ジャクソン5、ジャクソンズ、ファミリー“最初で最後の男”としても音楽史に名を残す
音楽一家 ジャクソン・ファミリーの次男で、ジャクソン5/ジャクソンズのオリジナルメンバーでもあるティト・ジャクソンさんが逝去した。享年70歳だった。
Jackson 5(ジャクソン5)・The Jacksons(ジャクソンズ)のメンバーでシンガー/ソングライター/ギタリストのTito Jackson(ティト・ジャクソン)が2024年9月15日(日曜日)に逝去した。
ティト・ジャクソンのマネージャーであるSteve Manning(スティーヴ・マニング)によると、ティト・ジャクソンは車でアメリカ合衆国ニューメキシコ州からオクラホマ州の自宅に戻る移動中に心臓発作のため逝去したという。享年70歳だった。約1週間前にはジャクソンズとして50年以上ぶりにドイツ連邦共和国ミュンヘンで開催される公演の前に、弟のJackie Jackson(ジャッキー・ジャクソン)とMarlon Jackson(マーロン・ジャクソン)と共に弟・KING OF POP Michael Jackson(マイケル・ジャクソン/1958 – 2009)の記念碑を訪れ、ファンが飾っていたマイケル・ジャクソンの遺影を見て優しく微笑みかけている姿がソーシャルメディアに投稿されていた。ミュンヘンでの公演がティト・ジャクソン最後の公演となった。ティト・ジャクソンの訃報はアメリカ合衆国をはじめ、世界中のメディアが報じ、シンガー/ソングライター/音楽プロデューサー/ボーカルグループ The Miracles(ザ・ミラクルズ)メンバー/元・Motown Records(モータウン・レコーズ)副社長のSmokey Robinson(スモーキー・ロビンソン)、シンガー/ソングライターのEric Benet(エリック・ベネイ)、ミュージシャン/ソングライター/ギタリストのTommy “O” Organ(トミー・“O”・オーガン)、ダンスアーティスト/コレオグラファーのKento Mori(ケント・モリ)、Nona Reeves(ノーナ・リーヴス)のメインソングライターでシンガー/ソングライター/音楽プロデューサーの西寺郷太など錚々たるアーティスト、バンドメンバーや音楽関係者もソーシャルメディアのアカウントで追悼している。
ティト・ジャクソンは、1953年10月15日、音楽一家 ジャクソン・ファミリーの次男としてアメリカ合衆国インディアナ州ゲイリー生まれる。姉にシンガーのRebbie Jackson(リビー・ジャクソン)、妹にシンガー/ソングライター/女優のJanet Jackson(ジャネット・ジャクソン)、シンガーのLa Toya Jackson(ラ・トーヤ・ジャクソン)、弟にBrandon Jackson(ブランドン・ジャクソン/1957 – 1957)、シンガー/ソングライター/ミュージシャンのRandy Jackson(ランディ・ジャクソン)ら。父親 Joseph Jackson(ジョセフ・ジャクソン/1928 – 2018)のギターを隠れて弾いていたことが見つかってしまったことがきっかけとなり、ジョセフ・ジャクソンの指導のもと兄のJermaine Jackson(ジャーメイン・ジャクソン)、弟のマイケル・ジャクソン、マーロン・ジャクソン、ジャッキー・ジャクソンと共にジャクソン5を結成し、レコード会社 Motown(モータウン)より1969年に「I Want You Back」(帰ってほしいの)でデビュー。ジャクソン5の結成は、ティト・ジャクソンがきっかけ、始まりと言っても過言ではない。その後、「ABC」、「The Love You Save」、「I’ll Be There」など次々と世界的大ヒットを連発、一躍脚光を浴び、世界的大スターに。その後、マイケル・ジャクソンはソロに、ティト・ジャクソンは他の兄弟と共にジャクソンズとして活動しながらソロでも活動。1985年、伝説のアフリカ飢餓・貧困救済キャンペーン&チャリティーソング『We Are the World』(『ウィー・アー・ザ・ワールド』)に参加。日本国では2010年からBlue Note Tokyoを中心に公演を行い、ソロはもちろん、B.B. KING Band(B.B.キング・バンド)とも共演。2011年3月11日に発生した東日本大震災ではチャリティー活動も。2016年にはジャクソンズとして音楽フェス『Summer Sonic 2016』(『サマーソニック2016』)に出演し、故・マイケル・ジャクソンへのトリビュートパフォーマンスも大きな話題となった。同年、キャリア50年目、63歳にして、ジャクソン・ファミリー“最初で最後の男”としてソロDEBUTアルバム『TITO TIME』(『ティト・タイム』)を発売。2021年にソロ2ndアルバム『Under Your Spell』(『アンダー・ユア・スペル』)を発売。日本国のファンを愛し、大の日本国好きとしても知られ、プライベートでもお忍びで度々来日。東京・原宿などで買い物をする姿や観光客の記念撮影にあえて映り込むお茶目な姿が目撃されていた。
ティト・ジャクソンさんの訃報に接し、謹んで哀悼の意を表します。心よりご冥福をお祈り申し上げます。ティト・ジャクソンさんには、SAPIENS TODAY|サピエンストゥデイ(旧・SOUL SAPIENS|ソウルサピエンス)の取材やインタビューにもご協力いただき、登場していただきました。私たちがティト・ジャクソンさんと共に過ごした時間は、とても貴重で大切な時間と思い出です。公私共に温かいご支援とご協力をいただき、本当にありがとうございました。心より深く感謝申し上げます。愛を込めて——SAPIENS TODAY|サピエンストゥデイ 編集部一同
2016.12.20
ティト・ジャクソンがソロ・デビューとアルバムに込めた思いを語る―インタビュー
明日2016年12月21日(水曜日)に待望のソロデビューアルバム『TITO TIME』(ティト・タイム)が日本国先行でソニー・ミュージックジャパンインターナショナルよりリリースされる。ソロデビューアルバム『TITO TIME』のリリースに合わせて、アメリカ合衆国からThe Jackson 5・T...
Tito Jacksonさんの訃報・・・実は、今日の早朝には情報が入ってきていたが、なかなか受け入れることができず、記事化と掲載・配信までに時間がかかってしまった。大変申し訳ない。筆者は、数年前から日本国内でのプロモーションを少しだけお手伝いさせていただいていた関係、あまりにも突然の出来事でショックを隠せない。正直、涙が溢れ、いまも受け入れることができないでいる。初めてお会いしたのは、2014年、Blue Note Tokyoの楽屋だった。それまでも一般客として何度かBlue Note Tokyoでの公演やThe Jacksons UNITY Japan Tour 2012を観させていただいたのだが、お会いしてお話をさせていただいたのはその時が初めて。Titoやバンドメンバーたちとご挨拶をさせていただくと、すぐに打ち解け、その場で国内におけるプロモーションに関する相談を受けた。その後、アシスタントを務めていた方を通じて連絡を取り合い、来日する度にお会いして家族ぐるみのお付き合いに。2016年は、Titoにとって日本国での大きな動きがあった——The Jacksonsとして兄弟揃って音楽フェス『Summer Sonic 2016』への出演、凄腕プロデューサーのSageさんにご協力いただき、Mark Ronsonさん出演イベントへのトーク出演、Mark Ronsonさんや日高光啓(SKY-HI)さんとの交流、ソニー・ミュージックジャパンインターナショナルさんよりソロDEBUTアルバム『TITO TIME』の日本国発売、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク在住凄腕プロモーターのYujiさんと当時The StylisticsのメンバーだったHarold Eban Brownさんにご協力いただき、Billboard Live Tokyoで開催されていたThe Stylisticsの公演にご招待いただいて楽屋でメンバーと交流・・・となかなか濃い年となった。この間もTitoは、ソロデビューと活動に向け、日本国内でもレコード会社などに自ら足を運んで交渉していた。Tito本人もソロデビューと今後の展開への足がかりを掴んでいたと思う。他にもたくさん思い出はあるが、いつかTitoのレガシーを語る日が来たときにお伝えしたいと思う。個性の強い兄弟姉妹がいるジャクソン・ファミリーのバランスをとっていたのは、ファミリー・兄弟姉妹の中でもいつも優しく、温厚、控えめで、自分の言いたいことややりたいことは後回し、常に相手や周りを優先し、相手や周りを楽しませ、気遣うTitoだったはずだ。Titoと一緒に時間を過ごしていると、そう思うことが多々あった。買い物に同行した時のこと、一緒に街を歩いていて急に消えたかと思うと、海外の観光客が記念撮影をしているところに入っていくお茶目な一面も。世界的スターなのに、歌声もギターもすごいのに、決してスターぶらない。Michael Jacksonを一番思い、何があっても一番の味方だったのもTitoだったようだ。気苦労や孤独なこともあったと思う。Jackson 5の結成のきっかけと始まりはTito、そしてキャリア50年目にして兄弟で一番最後にソロデビューしたTito——ファミリー“最初で最後の男”の早すぎる死は、本当に残念で、淋しい。いまごろ、MichaelやパパJoeと再会して一緒に過ごしているのかな・・・。Tito、家族のように接してくれて、たくさんの愛とサポートをくれて本当にありがとうございました。そのうち僕もそちらに行くのでまたゆっくり語りましょう。大好きだよ、Tito。ありがとう、Tito。